始皇帝と大兵馬俑展を見て
- imokko777
- 2016年7月29日
- 読了時間: 2分

2016(H28)7.15国立国際美術館で開催された始皇帝と大兵馬俑展を見に行きました。
昔、大きな溝の中に並んだ多くの兵士像の写真を見た時、中国に実物を見に行きたいと思っていました。が、大阪で見る機会ができました。俑(よう)とは兵士や馬等を粘土で作って焼いた等身大の像です。紀元前3世紀に、8千体もの俑を用いて軍団を作り、始皇帝の陵墓の近くに埋められました。20世紀になって発掘されました。その中で跪射俑、将軍俑、軍吏俑、歩兵俑、立射俑、騎兵俑 等が展示されていました。
例によって「アニエールの街路」と同様に、跪射俑と将軍俑の絵葉書を買ってきてパソコンで描きました。我ながら上手く描けたかなと思います。パソコン絵画の話は今回は触れない事にします。
中国の戦国時代、秦の国は小さな国を滅ぼし、紀元前221年に中国全土の統一を成し遂げ、秦の国王:嬴政(えいせい)は最初の皇帝『始皇帝』を名乗り、紀元前210年49歳で死去し、その後秦国は数年で滅ぼされたと聞きました。秦が崩壊するまでの短期間(約11年?)に、巨大な陵墓を作り、兵士や軍馬の俑を周囲に埋め立てて大兵馬俑を作り、永遠なる世界を夢見たとされる。
兵士の顔が全て異なる俑、型を使用せずに作ったのだろう。何人の職人を集めて作ったのだろうか? こんな大きなものを焼く窯はどうしたのだろうか? 多くの職人や土木工事人、関係者の食料をどうして得るのか? 農業人口は十分であったのだろうか? 疑問ばかりである。
私が作るとしたら、粘土で形作るのに1カ月、乾燥に1カ月、焼像に1カ月 計3カ月は必要と思います。年4俑、よって一人で作ったら200年も必要となります。各俑はデザインの統一性が感じられるので、職人の教育が徹底されている。単に素人(農民かな)を集めて、それぞれ別々に作った物ではないと思います。組織力の強さを感じられる。
工具は鉄でなく青銅で作られた時代に、兵隊や馬の俑をこんなに多く、しかも地面を掘る(鉄の工具なしで)土木工事をするという発想は、どこから来たのだろうか?。権力・威厳を見せつけるために、始皇帝自身の発想か!役人の発想か!、どちらでも良いが、発想力の強さに驚かされる。
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